もし天国があの世になくこの世にあるとしたら?

スピリチュアル

僕は小学生の頃になぜ生まれてきたのか、
死んだらどうなるのかと考えたことがあります。

 

母方の実家がお寺ということもあり、
叔父がお坊さんでしたので、
この質問をしたことがあります。

 

毎年同じ時期に同じ夢を3年続けて見ていたのもあり、
何か意味があるのではと思いそれも聞きました。

 

その際に叔父から輪廻転生の話を教えてもらいましたが、
内容は小学生の僕でも不思議と理解できるものでした。

 

そして自分なりに出した結論は、

この世でしかできない何かをするために生まれてきてそれが終わるとあの世に帰り、

そこで今世の行いによって天国か地獄行きを決められてしばらくそこで過ごし、

またこの世でしたいことを決めてたらこちらに出てくるということを繰り返している

と考えるようになりました。

 

そのおかげでしょうか、
死というものが終わりではなくあの世へ帰るための通過点と考えるようになりましたので、
特に怖いものでもなくなりました。

 

そして今世はできるだけ良い行い(徳を積むこと)をしようと考えるようになりました。

ちなみに僕の尊敬する斎藤一人さんも幼い時に死んだらどうなるのかと考えられたそうです。

そしてそれが人生で唯一の悩みだったそうです(笑)

そして最近までは死んだら天国か地獄に行くのだろうと思っていたのですが、
どうもそうではないのかなと思うようになりました。

 
こちらの本の著者の方は臨死体験をされたそうですが、
あの世ではすべてとひとつだったと仰っておられます。

 

そこには天国も地獄もなく、
ただ「在る」状態だったそうです。

 

そして死んだ後の裁きというものはなく、
ただ愛だけが存在しているとのことです。

 

これらを読んだときに、
なんとなくですがたしかにそうかもしれないと思いました。

 

あの世に天国と地獄があり、
今世での行いによって行き先が決まるという考え方は、
あの世がベースの考え方なような気がします。

 

「あの世で天国に行くために」今世良い行いをするというのは、

未来の為に今という瞬間を使っていることになりますので、

今この瞬間を生きるということから外れていると思います。

 

未来の為に今用意するというのは思考(恐れ)がベースであり、

感情(心)がベースではありません。

そしてこの本の著者の言われるように、
「もしこの世が天国だとしたら?」と考えると、
天国(と地獄)はあの世にはないのではないかと思うようになりました。

 

もし死んだ後に天国も地獄もなく、
ただすべてとひとつという感覚だけがあるとしたらどうしますか?

 

死ぬまでに死んでからのことを考え、
徳を積むことや天国に行けることを考えて実行し、
自分の本当にしたいことをせずに死んだ後の準備をする。

 

これって今したいことを犠牲にして未来の為に用意しているだけですよね?

そしてもし死んだ後にそれがなかったとしたらその用意はどうなるのでしょうか?

 

あの世ではすべてとひとつですので、
自分が何かを成すということは不可能だと思います。

 

この世では身体を持って他人や物と分離していますので、
自分が何かを達成する・個別に経験するということが可能になります。

 

そして自分だけの喜びや楽しみを体験することができます。

当然中にはつらいことや悲しいこともあるでしょう。

 

しかしそれこそが天国なのではないでしょうか?

 

そもそも天国とは場所ではなく在り方です。

理想郷のようなどこか遠い場所ではありません。

同じところにいてもそこをどう捉えるかでそこは天国にも地獄にもなりえます。

 

以前このような話を聞いたことがあります。

天国も地獄も同じ食卓の真ん中に熱い鍋のような料理が用意されている。

熱いので箸を使って食べないといけないが、

用意されている箸はとても長い箸だけ。

 

地獄にいる人たちは「私が・おれが・自分が」の我が強い人なので、

当然その箸を使って自分で食べようとする。

 

しかし箸が長いので自分の口に運ぶことができない。

 

なんとかして食べようとしているうちにこぼしたりして、

隣の人に熱い料理がかかってもめ事になり、

結局食べることができない。

 

かたや天国にいる人たちは「あなたに・周りに・お先に」の我がない人ですので、

その長い箸を使って周りの人に「お先にどうぞ」と言って食べさせてあげる。

 

そうするとその人はお礼に「あなたもどうぞ」と言って自分も食べさせてもらい、

みんなでおいしく食べることができる。

まさに天国と地獄とは場所ではなく在り方ではないでしょうか。

 

つまりこの世も自身の在り方次第で天国にも地獄にもなるということです。

 

斎藤一人さんも以下のように仰っていました。

天国にいる人はそこにいることを喜ぶ。

心配性の人は「いつまでここにいれるのだろうか」と先を考え不安になり、

そのうち天国にはいられなくなる(=そう思うからそうなる)

なぜなら天国にはそのような人はいないから。

※一人さんは心配性の人は心配性という病気だと仰っておられます。

 

天国とはどこか遠くにある場所ではなく、
ただの存在の在り方ですので、
今この瞬間あなたがいるところでも考え方と捉え方、
在り方によっては天国になるのです。

(逆も然りですが)

 

そして多くの人が今この瞬間を天国とはほど遠い捉え方をしているように感じています。

(以前の僕もそうでした)

 

この世が捉え方次第で天国になると知っていたから、
あなたはこの世に生まれてくることを選んだのではないでしょうか?

そしてこの世でしか体験できない多くの素晴らしいことを経験するために生まれてきたのではないでしょうか?

 

もちろんこの世にはつらいことや悲しいこともあります。

しかしそれは楽しいことや嬉しいことがそれとわかるためには必要なのです。

(比較の対象がなければ嬉しいことが嬉しいことかもわかりませんよね)

 

天国にはつらいことや悲しいことがないところではありません。

(それらがないと反対の嬉しいことや楽しいこともそれと理解できませんので)

 

すべてが存在してその中でどう在るか、
これ次第でそこは天国にも地獄にもなります。

 

あなたは今この瞬間をどう捉えますか?

どうせなら幸せになれる捉え方をしたいですよね。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました(__)

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