日本の常識は世界の非常識

マインドセット

この記事を書いている今は妻の実家であるフィリピンに滞在しています。

妻と出会ったのは日本ですが、
出身はフィリピンの為、
結婚当初は考え方が違いすぎてよく揉めました(笑)

 

そこで気づいたことは、
僕が今まで正しい考え方・常識だと思っていたことは日本だけの話で、
世界ではそうではなかったということです。

 

これには非常に驚かされました。

 

妻の言い分を聞くと、
妻もフィリピンの考え方や常識から話していましたので、
お互いが今まで正しいと思ったことから話をしていたにも関わらず、
意見が合わないのです。

 

その時に「常識とはあってないようなものだと」と感じました。

 

しかし同時にその「あってないようなもの」に自分の考え方が縛られている気もしました。

 

何かを考えたり判断したりする際は、
この常識が少なからず判断基準になっていました。

(特にサラリーマンの時は周りとの調和が求められましたので)

 

しかし振り返ると僕が常識だと思っていたことは両親や学校の教育、
世間で言われる一般論を中心にできたものでした。

 

ですがその内容はあくまで「日本」という枠の中での話です。

 

逆に妻は小学生の頃から日本に住むようになったので、
日本の文化や常識も理解しているのですが、
根本はフィリピンの考え方です。

 

当然ですが、
国が変われば常識も変わります。

 

妻の話(言い分)を聞いていると、

「なるほど、そういう考え方もあるのか」

と未だに参考になることがあります。

 

それくらい僕たちは過去の経験や思考パターンから現状とこれからを判断していることになります。

 

常識=絶対的な基準、ではない

日本では特に調和を求められるように感じます。

目立つことはしないように、
周りに合わせるようにと言われてきた方も多いと思います。

 

ですがこれらは日本だけの話だと思います。

 

僕は常識とはすべての人に共通する絶対的な考え方の基準ではなく、

人によって違うものだと考えています。

 

もし絶対的な基準が存在すれば、
世界中のすべての人がそれに合わせるはずです。

 

しかしそのような「常識」と呼ばれるものは非常に少ないと思います。

 

他人に迷惑をかける行為は世界共通でNGだと思いますが、
本当の常識とはそれくらいではないでしょうか。

 

その範囲内であれば、
一般的な常識(と呼ばれる考え方)に縛られることなくもっと自由に、
柔軟に考えて生きても良いのではないでしょうか?

 

僕も10代20代の頃は他人の目を気にして周りに合わせていましたが、
歳を重ねていくごとに色々と経験して段々と人目が気にならなくなり、

本当に自分がしたいことは何か?という点から考えられるようになってきました。

 

もし常識が絶対的な基準ではないとしたら?

それが日本内だけの話だとしたら?

あなたは本当は何がしたいですか?

 

是非一度考えてみてください、
本日も最後までお読みいただきありがとうございました(__)

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