…なんか難しいタイトルですね(笑)
要は「自分は知っているつもりだけど、実際はそんなに知らないということに気づいていない」というお話です。
あなたも経験があると思います、
ある事柄について知っていたつもりでも、
いざ詳しく説明してと言われると困ることがあったと思います。
僕は妻が外国籍なので少し難しい日本語についてどういう意味かをよく聞かれるのですが、
改めてわかりやすいように説明するのが難しい時がよくあります。
そこで初めて、
実は自分はそれについてよく知らなかったんだなと気づくことがあります。
多くの人は自分が「知らない」ということ自体に気づいていません。
なんなら「自分は人並みに知っている」と考えている人のほうが大半ではないでしょうか。
そしてそう考えている人ほど、
自分自身のことを客観的に見ることができていない場合が多い気がします。
(自分は知っていると思った以上、知らないかもしれないとは一切思わなくなりますからね)
無知とは恐ろしいもので、
知っているか知らないかで判断と結果が180度変わることもあります。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥
この言葉も無知がどれだけ危ないものかを指していると思います。
日本では謙虚であるべきとよく言われますが、
「もしかしたら自分は無知かもしれないから、謙虚にしておくほうが賢明だ」
という意味もあるのかもしれませんね。
僕自身はよく本を読むのですが、
本を読んで新しい知識がつくたびに、
自分が知らなかったということに気づかされます。
もし自分が既に知っていれば、
本を読んでも新しい知識や考え方は身につかないはずですからね。
すごく不思議な感じです、
学べば学ぶほど、
読めば読むほど、
知れば知るほど、
多くを得ているはずなのに、
以前よりも知っていることが増えているのにも関わらず、
毎回「自分がいかに知らないか」ということに気づかされます。
賢くなるというのは学ぶことで自分の無知さに気づき、
知ろうと努力することで物事の本質に気づけるようになっていくことなのかもしれませんね。
あなたも是非過去のご自身の考えや行動を振り返ってみて、
本当にそれについて正しく知っていたのか考えてみてください。
新しいことは常識を疑うことから生まれるそうです。
「これが当然、これが常識」と思っていることが実は違うかもしれませんからね。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。